小説『変な絵』もう一つの物語がここに! 雨穴氏独白! 音楽動画「a Mother's Nocturne」に隠された真相の画像
雨穴氏
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昨年10月20日に発売されると、全国主要書店の週間ランキングで1位を独占し、32万部を超えるベストセラーになっている『変な絵』(雨穴著)。11月には、本作を題材にした音楽作品「a Mother's Nocturne」がYouTubeで公開され、現在までに35万回再生を突破しています。そこで今回、『変な絵』編集チームは、著者・雨穴氏へのインタビューを通して「a Mother's Nocturne」の歌詞に込められた様々な意図に迫りました。

第一楽章「Iron cape」

足音が聞こえる
長い廊下に冷たく響く
子供のよう 繋がれ
行きつく最後の部屋
くりぬかれた祭壇の前
どんな祈りも
抜け殻の身を通り抜ける
制服着た使者が
鉄の岬に私を運ぶ
足元がぐらつき暗闇に堕ちていく

 

編集チーム(以下、編集):第一楽章の歌詞について、動画視聴者の方から「死刑について歌われているのではないか」という意見が多く寄せられました。たしかに「制服着た使者が 鉄の岬に私を運ぶ 足元がぐらつき 暗闇に堕ちていく」という部分は、刑務官に誘導され絞首台に運ばれる死刑囚の心情を描いているようにも見えます。雨穴さんの意図はどういったところにあったのでしょうか?

雨穴:皆さんがおっしゃるように、この歌詞は「死刑」をイメージして書きました。きっかけになったのは、以前読んだ、元死刑囚が書いた本です。その中にとても興味深い記述がありました。裁判で死刑が確定してから実際に執行されるまで、8年ほどかかるらしいんですが、その間、死刑囚は拘置所の独房でひたすら待ち続けるんだそうです。彼らにとって一番怖いのは、廊下に響く「足音」だといいます。というのも、死刑の執行日は本人には知らされず、当日の朝、刑務官が突然独房にやってきて「今日が執行日だ」と告げるらしいんです。だから、死刑囚は足音が聞こえるたびに、死の恐怖に震えるのだそうです。

 

足音が聞こえる
長い廊下に冷たく響く

 

編集:「足音が聞こえる 長い廊下に冷たく響く」という一節には、そういった切迫感が込められているのですね。ただ、その割には雨穴さんの歌い方は冷静というか、落ち着いた印象を受けます。恐怖に震えるような歌い方をしなかったのはなぜでしょうか?

雨穴:この歌の主人公は死刑囚ではあるけど、自分の人生に失望しきって、すでに生への執着をなくしているんです。だから、死に対する恐怖心がない。もしくは、あったとしても「怖がっている自分」を俯瞰して見ているような、心ここにあらずの状態です。それを表現したくて、このような歌い方にしました。

編集:なるほど。ところで今「この歌の主人公」という言葉が出てきました。YouTubeのコメント欄には「この歌は『変な絵』の犯人のことを歌っている」という意見が多数ありましたが、実際はどうなのでしょうか?

雨穴:たしかに、『変な絵』の犯人は作中でいくつもの罪を犯し、最後に警察に逮捕されます。ただ、その後どうなったのかは小説内では描いていません。あえて語らないことで、たくさんの可能性を残したかったからです。証拠不十分で不起訴になったかもしれないし、刑期をまっとうして十数年後に出所したかもしれない。読者の数だけ解釈があると思っています。これは、たくさん存在するパラレルワールドの中の一つ。「犯人が死刑になった世界線」の歌だと考えています。

 

子供のよう 繋がれ
行きつく最後の部屋

 

編集:つづいて登場するこの歌詞は、犯人が刑務官に拘束され「最期の部屋」つまり刑場に連れていかれる場面だと読み取りました。個人的に気になったのは「子供のよう 繋がれ」というフレーズです。ここにはどのような意味が込められているのでしょうか?

雨穴:犯人は、拘束された自分の姿が「まるで子供のようだ」と思ったんです。つまり、犯人は深層心理において「子供=拘束されている存在」というイメージを持っているんです。

編集:小説の中で、犯人はかなり過保護な親として描かれています。ある意味では子供を精神的に縛り付けていた、という見方もできますね。

雨穴:そうですね。また、犯人は子供の頃、母親から虐待を受けており、自分自身も「自由を奪われた子供」だったんです。そういった経験の蓄積から、犯人の中で「子供」に対する歪んだ認識ができあがってしまったのではないか、と推察しながらこの歌詞を書きました。

 

くりぬかれた祭壇の前
どんな祈りも
抜け殻の身を通り抜ける

 

編集:「最期の部屋」に到着した犯人の呆然とした様子が描かれます。「くりぬかれた祭壇」という不気味な言葉が出てきますが、これは何を指しているのですか?

雨穴:死刑囚は執行の前に「教誨室」という部屋に通されるそうです。部屋には祭壇が用意されていて、その前で教誨師から話を聞き、罪を悔い改める、と。祭壇の形式は拘置所によって様々だそうですが、私が見た写真では、壁の中に埋め込まれていました。「くりぬかれた祭壇」はそのイメージです。

編集:動画だと1分25秒あたりでしょうか。犯人は絞首台に立たされ、床の扉が開き、暗闇に堕ちていく。暗闇の先には曼荼羅があり、犯人が死後の世界へ向かっていくことが読み取れます。ここで曲調が一変し、第二楽章へ繋がりますが、映像的にも第一楽章とは打って変わって開放的で明るくなりますね。

雨穴:第二楽章以降は、犯人が死へ向かう刹那に見た走馬灯、というイメージで作りました。第二楽章は犯人の幼少時代を描いています。幸せだった子供の頃を象徴する意味で、さわやかな青空を一面に映しました。

 

第二楽章「Blue sky」

青空の下
白い家
緑の庭で少女は祈る
穏やかな日よ、続けと

 

編集:まさに満たされた子供時代ですね。ただ、豊かな生活の中で、少女は「穏やかな日よ 続け」と祈っています。いつか幸せが壊れてしまうことを予期していたのでしょうか。

雨穴:予期、というより危機感に近いと思います。子供は常に漠然とした恐怖を抱えている気がするんです。「朝、目覚めたら両親がいなくなっていたらどうしよう」とか「ある日突然、家がなくなってしまったらどうしよう」とか。生き物として弱い分、そういう危機意識を本能的に持ってしまうのではないかと。この歌に出てくる「少女」も、そういうありふれた子供の中の一人なのだと思います。

 

ある朝にぶい物音で
目を覚ましたら何もかも
消えていた幸せは

 

編集:祈りもむなしく少女には不幸が訪れる。「にぶい物音」とは何でしょうか?

雨穴:少女の不幸は、父親の自殺をきっかけにはじまります。自殺方法は小説の中では描写していませんが、おそらく首を吊ったか、ベランダから飛び降りたのではないかと考えています。その音です。

 

ママぶたないで
私を見て 話をして
ママもうやめて
部屋の中一人にして

ママぶたないで
私を見て 話をして
ママもうやめて
もう離して もう許して

 

編集:父親の死後、少女は母親から虐待を受けるようになります。この歌詞は、少女の心の叫びを表現したものだと思いました。ところで少女は「部屋の中 一人にして」と母親を拒絶している一方「私を見て 話をして」と交流を求めている。この矛盾にはどういった意味があるのですか?

雨穴:どちらも少女の本音だと考えています。「部屋の中 一人にして」は「今」暴力から逃げたい、自分を守りたい、という切迫した願望。「私を見て 話をして」は、いずれ母親との関係を回復して普通の親子になりたい、という能動的な欲求です。実際、小説の中で、少女が母親を喜ばせるために料理を作るシーンがあります。子供なりに、状況を改善しようと必死だったんです。このあたりの子供の心理は、映画『search』を参考にしました。

露わになる少女の顔。何度も描き直した「笑顔」。

第三楽章「It's a boy」

編集:曲調が激しくなり、第三楽章に突入します。この歌詞は、見た方の解釈が割れていた、という印象があります。

 

身を裂く思い 神に目隠し
命がけの勝負が始まる
白い部屋に響く鼓動
女の息は乱れだす

身動きもできないほど強く
はさまれた大切なあの子を
救い出すための戦い
後戻りはできはしない

親子をつなぐ糸をちぎって
叫び声が狭い部屋満たす
白い壁が赤く染まり
浅い意識はかすんでく
苦痛にもがく運命の人にこの世の際の頭痛をあたえ
腹の重さとひきかえに 片道切符手渡して

 

雨穴:実はこのパートは、ダブルミーニングに挑戦したんです。「出産」と「殺人」どちらにも読めるように書きました。

編集:小説では、虐待を受けていた少女が母親を殺害するシーンが登場します。そして、少女は大人になり、結婚して子供を産むわけですが、その二つの出来事を同時に表現した、ということですか?

雨穴:そうです。たとえば最初に登場するフレーズですが……

 

身を割く思い 神に目隠し
命がけの勝負が始まる
白い部屋に響く鼓動
女の息は乱れだす

繰り返される「It's a boy」は、助産師が母親に「男の子ですよ」と伝えるときの言葉。

雨穴:「白い部屋」というのは病院の分娩室のことであり、同時に少女が住む「白い家」の子供部屋のことでもあります。また「身を裂く」は出産のメタファーである他、母親を殺す少女の心の痛みも表現しています。どんなに仲が悪くても、親子は生物的に分身のような存在です。親を殺すという行為は、自分自身を傷つけるのと同じくらい「痛い」ものなのではないか。そんなイメージから、この歌詞を作りました。

編集:「親子をつなぐ糸をちぎって」は「へその緒」と「親子の絆」を掛けているように感じました。「苦痛にもがく運命の人に この世の際の頭痛を与え 腹の重さとひきかえに 片道切符手渡して」は少し難解ですね。解説していただいてよろしいですか?

雨穴:「苦痛にもがく運命の人」は、窮屈な産道をもがきながら進む赤ん坊と、娘に攻撃され苦しむ母親を同時に表現しています。聞いた話なのですが、赤ちゃんは外に出る寸前、ものすごい頭痛を味わうそうなんです。また、少女は母親を殺すとき、木製のドールハウスで母親の頭を強く打ち付けます。どちらも「この世の際」……生と死の境の頭痛です。

編集:「片道切符」にはどういう意味があるのでしょうか?

雨穴:出産は「生の世界」へ、殺人は「死の世界」へ人間を送り出す行為だと思います。どちらも帰り道は用意しない。それが、片道切符を手渡す様子に似ているな、と。

二つの鳥籠が重なり十字架が現れる。

編集:根本的な疑問なのですが、どうして「出産」と「殺人」を同時に表現しようと思ったのでしょうか?

雨穴:この小説の主人公、つまり「少女」にとって、子供を産むことと母親を殺すことは似た意味を持っているからです。これは一般論ですが、小さな子供にとって「親」は最大の権力者です。少女の母親は「母親」という権力をふりかざして娘を虐待していました。少女が母親に逆らえなかったのは、体力の差で勝てない、というだけでなく「親に反抗するのは悪」という、刷り込みがあったからだと思います。小説では、少女は母親を殺したあとも、彼女の呪縛から逃れられず苦しみます。肉体は消えても、母親は、その絶対的な権力によって娘を精神的に支配し続けたんです。しかし、結婚して子供を産むことで少女自身も「親」という権力を得た。つまり、自分を縛り付けていた母親とはじめて対等になれたんです。そのことで彼女はようやく自由を手にします。「殺人」と「出産」という二つの行為によって、少女は母親の支配から脱出した、ということです。

 

私を追う目 桃の肌
指を包む手 柔い頬
腕の中眠る声
この日々のため生まれたと
今なら分かる 愛の意味
いつまでもそばにいて

 

編集:続くバラードパートでは、母親となった少女が子育てを謳歌する姿が描かれます。

雨穴:彼女の人生にとって数少ない、幸福と万能感に満ち溢れた時期だったはずですから、どこまでも柔らかく、甘美な音楽を作ろうと努力しました。

母親が年をとるにつれ、抱かれたままの赤ん坊は徐々に母親と一体化し、異形となる。

パパぶたないで
声をたて騒がないで
パパもうやめて
強い手で触らないで

 

編集:ところが、次第に夫(パパ)が子供を虐待するようになる。第三楽章のリフレインに乗せて夫への懇願が歌われますが、歌い方が第三楽章とは異なる気がします。ここにはどのような狙いがあるのでしょうか?

雨穴:第三楽章は、小さな少女が母親に対して「もうやめて」と許しを乞う、という内容なので、幼く非力な子供がせいいっぱい声を振り絞ってお願いするようなイメージで歌いました。対して第四楽章は、少女が大人になり、妻として夫に「子供をぶたないで」と直訴する場面を描いています。ですので、成熟した落ち着いた声で歌っています。ただ、この時点で彼女はすでに夫に失望しているので、あまり心がこもっていない、無機的なニュアンスを出しました。

 

第四楽章「Starry mountain」

星空に満たされて夢を見てる
愛し合ったあの夜のように
見えなくなるあなたの顔
暗い闇に飲まれて
二人だけの丘の上に冷たい風が吹く

 

編集:第四楽章が始まります。この歌詞、小説を読む前と後では、全く違って聞こえますね。

雨穴:はい。一見、ラブソングに見せかけて、実は陰惨な殺人現場を描いています。

編集:子供を虐待から守るため、妻が夫を殺害するシーンですね。なぜバラードに乗せて「殺人」というテーマを描こうと思ったのでしょうか?

雨穴:犯人(=妻)にとって「夫を殺す」という行為は神聖なものだからです。子供の頃に母親を殺害したのと同じように、彼女は大切なものを守るために夫を殺めた。それは聖戦であって美しい行為……だと彼女は思い込んでいるんです。非常に自分本位で歪んだ考え方です。ただ、小説を書いた者として、せめて自分だけは彼女の心に寄り添いたいと考え、綺麗なバラードでそれを表現することにしました。この組曲のタイトルは「a Mother's Nocturne」ですが「Nocturne(ノクターン)」というのはもともと、修道院で行われる晩祷が語源になっているそうです。これは彼女にとっての祈りなのだと思います。

 

第五楽章「Prayer」

編集:続く第五楽章のタイトルはまさに「prayer(=祈り)」ですが、これも殺人をテーマにした音楽なのでしょうか?

雨穴:はい。彼女は生涯においてたくさんの人を殺めます。第五楽章が「殺人を行うときの彼女の内面」だとするなら、これは、そんな彼女の内面を「外側から見た図」といった感じです。彼女自身は自分の心を美しいと思っているけど、はたから見たらそれは醜く歪んでいるんです。

編集:コラージュのような映像が印象的ですね。

雨穴:ここには、小説内の殺人シーンに登場する物品を、途切れ途切れに映しています。他にも「夫殺し」の象徴であるカマキリの映像、「顔のない少女の絵」などを挿入しました。

編集:そして最後、再び曼荼羅が映し出されます。一瞬、向こう側に男性の姿が見えますが、これは誰なのでしょうか?

雨穴:「父親」「夫」「息子」のうちの誰かだと思います。表情はあえて見えないようにしました。

人間の腕が徐々に血まみれの肉塊になっていく。このシーンは、粘土に赤い絵の具を塗り、自宅の庭に置いて撮影したという。

編集:ここまで『変な絵』を題材にした音楽「a Mother's Nocturne」について伺ってきました。「小説を音楽化する」というのは、雨穴さんにとって初めての試みだったと思いますが、やってみていかがでしたでしょうか?

雨穴:小説では描ききれなかった主人公の内面を深く表現できたのがよかったと思います。
本を読んでくださった方から「主人公は、子供への愛情が暴走して罪を犯してしまった母性愛の強い人物だ」という感想をたくさんいただきました。もちろん、それも一つの解釈として正しいと思います。ただ、私個人の考えは少し違っていて、実際のところ、主人公はそこまで子供を愛していなかったと思うんです。彼女にとって大事なのは『自分が母親であり続けること』です。「母親」という称号を持つことで、自分を肯定できる。自分の母親から自由でいられる。彼女にとって「子供」とは、自分が「母親」でいるためのツールでしかないんです。第一楽章に「どんな祈りも 抜け殻の身を通り抜ける」という歌詞が登場します。死の直前になって彼女は、外に残してきた「子供」を案じることも、死に追いやった息子に詫びることもせず、ただただ自分のために失望しているんです。こういった描写ができたことは、私にとっても、小説『変な絵』にとっても、とても有益だったと思います。

■プロフィール
雨穴:ウェブライター、ホラー作家、YouTuber。2018年、ウェブサイト「オモコロ」にてウェブライターとしての活動を開始。2021年、小説『変な家』で作家デビューし、2022年には「変なシリーズ」第二弾である『変な絵』を発表した。YouTuberとしては、ホラー・ミステリー動画の他、自作曲を歌い踊る音楽動画も複数投稿している。

編集チーム:小説と音楽を融合するなど、斬新なメディアミックスをもちい、話題作を多数手がける。YOASOBI『夜に駆ける YOASOBI小説集』、GReeeeN『それってキセキ GReeeeNの物語 増補完全版』、マカロニえんぴつ『ことばの種』などを次々とリリースし、ベストセラーとなる。

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